ネパールの毛沢東派 「ところであんたもガンジャとかやるの?」
いざポカラに向けて、カトマンズを昼前に出発。危惧していたが、やってきた車はしごくまともな70年代後半のカローラだった。
運転手はチベット顔をした英語の達者な青年。「日本でこの車は幾らするんだい」とフレンドリーな感じで聞いてきたので、答えに詰まってしまった。こんなもの、解体屋でもいやがられそうだしなあ‥‥。とは言えないものの、適当に景色がいいねとか呟いて場を流す。
ネパールは新車も高いしガソリンも高い。だから古臭い車ばかり目につくが、新車のランクルなどもたまに走っていたり、いまプノンペンの中流家庭でブレイクしている、韓国のくそ安い小型車「マチス」もよく見かけた。
休憩時、煙草をくれと言われたので、返す刀で「ところであんたもガンジャとかやるの?」と聞くと、運転手は嬉しそうにうなずき「ああ、昨日も吸ったよ。今日は仕事だからまだやってないけど、あんたたちをポカラまで送ったら一発きめて、帰りは2時間半てとこだね」と言った。
そんな感じで片道五時間。すがすがしいドライブだった。春トレックで強く勧められたレイクサイドの「マリーゴールドホテル」は、写真と比較して実物が 50倍くらい煤けていて、まあまあ予想通り。赤い絨毯をチェックすると、元気そうなアリが二千匹ほどはい回っていて、電気を消すとゴキブリが出てきた。つけるといなくなった。
ポカラはカトマンズより物価の安いことで知られているが、直接庶民の生活に関係ないものはその逆、インターネットはその最たるもので、1分5ルピーとカトマンズの五倍‥‥しかし、こんなところでインターネットできるだけでも有難いと思わなければならない。だけど速度はカトマンズの1/2程度。それを10 人とか15人の客で使うわけで、裏で店員がインターネットやってるのとか見ると、お前が使うと遅くなるから使うな!!と、ついついキレそうになる。
ここはイスラエル人の多い町で、ヘブライ語の看板も多く、CDショップではイスラエルの曲が売られていた。それもMDコピー一曲あたり幾ら‥‥という面白い売り方で、店主は副業で特製水パイプの製造もしているとのことであった。
夜、尾藤さん(仮名)がホテル近くの雑貨屋で水を買った。通常ボトルの水は10から15ルピーが普通だが、ここはなぜか言い値30ルピー。ちょっと高いんじゃないの、と文句を言うと、じゃあジキジキ(SEX)はどうだと、わけのわからない切り返しをされ絶句したという。
翌日、釣りに行くはずが、雨のためなにもできない。尾藤さんの悪夢の話(上空から音楽にあわせ巨大な目玉が落ちてきたり)を聞きながら生あたたかいジュースを飲む。
晴れたらサランコットの丘に行ってみようと思った。で、晴れたのでタクシーを呼んで交渉。ポカラのはずれに近づくと、遠くに白雪を抱いたなんとかという山(忘れた)が見えてくる。サランコットの展望台までは車で30分。頂上近くで車を降りて、日本語ベラベラのうさん臭い乞食のガキに囲まれながら歩く。そのなかに一人、前歯の欠けた面白い顔の子供がいたので、ガイドしてよ。と頼むと、
「私は山の小さなガイド。よろしくお願いします」
と、改まった挨拶をされ、こちらも敬語になってしまう。この言葉が妙に頭に焼きつて、今も離れない。
第一展望台は歩きで一時間近くかかると言われたので、慎ましく手前の第二展望台に登る。途中の物売りからなにから全員日本語を喋るので不気味。
展望台にはコイン式の双眼鏡も無く、コンクリが円形にうってあるだけで柵もなにも無く、中央に星でも描いたら悪魔でも出てきそうな場所だった。山は美しい‥‥。
車に戻ると得体の知れない女が座っていて、病気だからタダで下まで連れていけと言われたり、色々あったがそれはともかく、ホテルに戻るとフロントの男が寄ってきて、あんたたち、明日からネパールは三日間のストだから今日カトマンズに帰ったほうがいい。と言われた。
なんでも明日から三日、銀行から一般商店やタクシーはもとより、車やバイク等、エンジン付の乗り物に乗っているだけで攻撃対象になるという。そんで市内の交通機関も無いから、明日帰るなら空港まで歩いていけと追い討ちをかけられた‥‥。春トレックよ。そういうことはカトマンズを出る前に言ってくれ。
そういや今朝声をかけてきた、ヒクソン・グレイシーの道場に二日酔いのまま道場破りに出かけ、半殺しにされた大卒の格闘家。安生洋二にそっくりの男はニコニコしながらポーターと山の中に消えていったが、果たして大丈夫なのだろうか。
夕方、ペワ湖に釣りへ。釣り道具や餌を用意してもらい、いざボートに乗ろうとしたそのとき、尾藤さんがウンコしたいと言い出し、待っているうちに大雨が降り出した。結局釣り計画は幻に終わる。
ホテルに戻ろうとすると、松明とソ連の旗を持って奇声をあげる集団が近づいてきた。非合法のネパール共産党だそうで、明日スト破りする奴はギタギタにしてやる。という趣旨の叫び声だそうだ。
この日商店は早じまいし、夜9時には街が真っ暗になった‥‥。流しのタクシーに明日、倍額出すから商売しないか?と持ちかけるが、みんな首を振って消えていった‥‥投石されるそうだ。ホテルの人にも、牛でも馬でもいいから用意してくれと食い下がってみるがなしのつぶて。実は風邪ひいていて、あまり歩きたくないのよ。
そのまた翌日、スト当日。
夕方発だった飛行機が早朝に変更されていた‥‥。朝、起きてホテルのテラスに出てみると、商店はすべてシャッターを閉じ、車やバイクの類は一台も見かけず、機動隊や警察がウロウロしていた。それにしてもネパールのお巡りは弱そうである。銃も持たず武器はこん棒一本。
今回のようなストも、相手がカンボジアのお巡りなら一発連射でハイ終了という雰囲気だが、まあそちらの方が異常と言えばそれまで。朦朧としていたが、とにかく空港まで歩くか‥‥と荷物をまとめていると、尾藤さん(仮名)が来た。
「自転車かりてきたよ。倍の値段だけど、空港に乗り捨ててもいいって」
というわけで、ありがたく自転車に乗る。しかし変速機が壊れローギアしか使えず、平地でもキコキコ激しくペダルを漕がなければ進まず、空港に着いた頃には汗まみれ。それでもカトマンズ行きの飛行機には無事搭乗できた。ちなみに今回もまたコズミック・エアー‥‥。
離陸後、窓から下界を見下ろすと、恐ろしいことに見渡す限り、自動車やバイクが一台も走ってない。まさかカトマンズは首都だからそういうことは無いよな。と思いきや、カトマンズ上空で同じ光景を見て凍りつく。ということは空港から歩きかよ‥‥。
カトマンズの空港で尾藤さんが小便をしたいと言い出す。ひとつしかない男子トイレは使用中で、ドアが半開きで、中でウンコしている現地人が丸見えで、そいつは30分近くトイレを占領していた。
ありがたいことに空港の外に数名のタクシー運転手がいた。が、値段を聞いても「高いぞ」というだけで具体的な値段は言わず、他の客も途方に暮れていた。
そのとき、前方から轟音を上げてボロボロのバスがやってきた。なんでも政府が用意したガバメントバスだそうで、タクシーの運ちゃんもそれを見た途端「あれで行ったほうがいい」と空港タクシーにあるまじきアドバイスをくれたので、寿司詰めバスに走る。
ガバメントバスには数名の機動隊員が同乗していた。乗ってから気が付いたが、窓ガラスは全て割れ、金網は投石跡でボロボロ。ボディーもべこべこ。我々も窓側にバックパックを置き、一応の防御体制をとる。
バスはクラクションを鳴らしつつ爆走。一台も車が走ってないので、道ゆく人は皆こっちを見つめている。しばらく走ってタメル到着。そこには数名のリキシャマンが待機していたが、聞けばリキシャですら客を乗せているところを見つかると攻撃されるそうで、心なしびくつきながら営業していた。
カルマホテルという裏通りの宿にチェックイン。タメルはゲストハウス以外、すべての商店が表向き閉まっていて壮観だった。が、多くのレストランはこっそり営業しており、客らしき外国人が来るとシャッターを開けて手招きする。
ところがデモ隊の奇声を聞くと豹変、我々を奥に引っ張り込み、見張りの人間がすかさずシャッターを降ろす。デモ隊は行進しながらその手の店に蹴りを入れたり、石を投げたり‥‥。ギョーザと春巻きを食いながら店長の愚痴を聞く。
明日バンコクに引き返したいが、空港までの足がないので訊ねると、ロイヤルネパール航空のオフィスからガバメントバスがあると言われ、もぐりのリキシャでいざ出発。途中デモ隊とかち合いそうになり、その度に散々遠回りして、着いた頃には漕ぎ手が死にそうになっていた。が、莫大なチップを手にして満足気でもあった。こいつは三時間後に路上で泥酔しているところを尾藤さん(仮名)に発見される。
‥‥航空会社のオフィスには数名の日本人が座り込んでいた。ツアーで昨日帰る筈が予約をキャンセルされ、途方に暮れた男女混合グループ。女はみんななぜか金髪で、この国では少なくとも浮いていた。で、明日のバスは朝五時半出発!!という情報を仕入れる。