カンボジアの素:日本橋
この記事は90年代にミニコミとして出版したガイドブック「カンボジアの素」に書いた記事を復刻したものです。後年、情報を追記したりしていますが、全体的に古すぎ、記述が攻撃的で、正確ではありませんので、読んで懐かしむ程度でお願い致します。
売春で名高い70ストリート近く、トンレサップ川に掛かるチュロイチャンワー橋。この橋は、シアヌ-ク時代に日本企業により作られたので日本橋と呼ばれた。その後、ロンノル時代1979年に爆破され、1994年2月下旬、日本のODAにより修復された。
付近は夕方になると市民が夕涼みに集まってきて、屋台が出て賑やかかになる。屋台で覗くと果物とか衣服とかなぜか知らないけどドル紙幣や昔のカンボジア紙幣が売られていて、商売をしているというよりフリ-マ-ケットのような気がする。近くに王宮があるせいか、観光客も集まってくる。
この橋、日本では日本橋と紹介されているけど、地元の人は誰一人日本橋と呼んでいなかった。(1994)
いまでは屋台は二台くらいしかいない。近くのロータリーには不良少年や不良少女がたむろして、出会い系ロータリーと呼ばれていたりする。橋は警察が警備しているので、ぶらぶらしたり写真をとったりしていると因縁をつけられることもある。(2004)
(文・アジアの素編集部)