ひとくちブックガイド:ヤマギシ会の暗い思い出

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ああヤマギシ会。高速道路走って、ふと横の車を見るとヤマギシ会のトラックだったり、バンコクの伊勢丹で卵のパックを手に取ったら、近眼で余り良く見えない目玉に、ノミほどの「ヤマギシ会」という文字が拡大表示(x50)されたりと、そんなちっこい思い出がある……。

1953年、養鶏家の山岸巳代蔵がヤマギシ会を設立。山岸氏は19歳の時に思想的な壁にぶちあたり、思い悩んだ末「ヤマギシズム」というものを提唱した。ヤマギシズムは何処かの国のなんとか思想──みたいに主義主張が明確ではなく、主体思想風に「なんだかわからないが有り難いもの」らしい。

ともあれ、養鶏を通してステージが上がった山岸氏は次第に信者を増やし、彼らは理想の社会を作るべく、集団農場での共同生活・お金のいらない自給自足を目指した。共同体で野菜や家畜を育て、病院・学校も、衣食住も全てヤマギシが面倒をみましょう。そして、ヤマギシ農場をどんどん増やして、最終的には世の中を変えてゆきましょう……ビューティホー!

感動ついでに「ヤマギシ会の暗い日々」という本を読んだ。

ヤマギシ会を脱退した人が書いたもの。そんなすばらしいところから、どうして抜け出すの? と不思議に思い読んでみると、著者の武田氏曰く、村に入る際は前もって私有財産をヤマギシ会に提出し、あとは要するに死ぬまでタダ働き。多くの人は自然食品店などでヤマギシの食品と触れ合うところから縁が始まるそうで、そういう食品にこだわる裕福な層やインテリがヤマギシズムの理想にはまり、気がつけば預金残高ゼロ。みたいな仕組みだという。

財産全部くれてやったんだから……と、でかい態度で威張ってみれば、仲間から(まあ、みんな全財産はたいてるわけだが)激しく糾弾され、不衛生かつノルマがきつい職場に回されてしまう。人件費が無いんだから絶対儲かっているはずなんだろうけど、幾ら儲かっているのかは決して知らされないまま(知る必要もない)、シビアな人間関係に苦しみつつ、時に密告や吊るし上げが行われる。閉鎖された世界で情報を遮断され、子供たちもまた、ヤマギシの教育で純粋培養されてしまう。ああ。人民公社。

ヤマギシの村(実顕地という)にいっぺん入ってしまえば、たとえ気持ちが変わろうと、財産その他は戻ってこない。当然ですね。念書にサインしてるんだから。

最盛期には数千人が日本各地の実顕地(ヤマギシ政権の村)に散らばっていたわけだが、ところによっては凄くゴージャスな村もあり(マスコミの取材などに使われるモデル村。北朝鮮にもあるよね)、ところによってはゴージャス村のしわ寄せで、ポルポト時代さながらの有様なんだそうで。

政治的に孤立した人たちは、そうした僻地に飛ばされ、自己批判して心の底からヤマギシ思想に迎合するまで牛のように働かされる。反省心が中央まで伝わると、毛沢東さまが呼び戻してくれるというわけ。文化大革命万歳!

ヤマギシ会をなめるように取材したルポライター・米本和広さんの「洗脳の楽園・ヤマギシ会という悲劇」によれば、ヤマギシ会には「特講」「研鑽会」などという洗脳カリキュラムがあり、子供は文房具ひとつ買うにしろ「提案」し、「調整」してもらわねばならない。

おまけに上部組織の勘にさわるようなことをすれば、殴る蹴るの体罰を受けることもあるそうじゃ。ポルポト時代を知る老人に言わせれば「殺されないだけマシ」といったところだが、カンボジアではなく日本の話である。

むかし(っても三、四年前のことですが)、鼻くそほじってヤマギシ批判本を読みつつ、内職の手伝いをしてくれていたスタッフのS君(仮名)に、

「ねえ、ヤマギシって知ってる? まるで北朝鮮だよな。すげえよこれ、バカな奴らだよなー。こんなの信じて……。こいつら頭わりいよね。この本貸そうか?」

と何気なく申し出たところ、S君が暗い顔して、

「実は……。うちの家、ヤマギシやってたことがあるんです」

と衝撃の告白。もう、なんていうか、一生のうちでベスト3に入る失言しちゃったなと。結局、S君とはかなり関係が悪くなってしまったと。皆さんも学会の批判とかそういうことするときは、場の空気を読んでから口を動かしましょうね。
(文・クーロン黒沢)



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