カンボジアの素:さわやかパッカー

この記事は90年代にミニコミとして出版したガイドブック「カンボジアの素」に書いた記事を復刻したものです。後年、情報を追記したりしていますが、全体的に古すぎ、記述が攻撃的で、正確ではありませんので、読んで懐かしむ程度でお願い致します。

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時は94年ごろ。空港から一緒に来た日本人。ミスター荒井は到着後即、日射病でダウン!。私は知人もなく情報もなく、仕方ないのでここプノンペンで唯一バックパッカー達が集まるキャピトル1Fの食堂にて情報をもらう事にした。

カンボジアに来る外国人は自分も含めて心細いのか、他の国よりもみんな慣れ慣れしくなっていて友達になりやすく、ガンガン声をかけてくる。それが同国人ともなれば、なおさら。

だが、私はどちらかと言うとサワヤカ人間ではないし、たとえそれが心からの言葉だったとしても、偽善的な行動や言動にはゾクゾク拒否反応が出てしまう反モラリストなのだ。だから、農薬がタップリ入った野菜も大好きだし、原発も好きか嫌いか聞かれれば好きな方である。

「じゃあ原発の横の海で泳げますか」

と聞かれれば素っ裸で泳いでやるし、

「自分の子供が農薬タップリの野菜を食べて原発から放射能を受けても平気なんですか?」

と言われても、むろん平気だと答えるだろう。第一、子供なんか甘やかすとロクな事がない。あっ、この段落は後々の伏線なので読み飛ばさないように。

そんなこんなで、いきなり来る途中の飛行機の中で売春の話を延々始めた荒井君とはウマが合った私だが、キャピトル1階にいた日本人のさわやか旅人軍団を見た瞬間、憂鬱になってしまった。

●さわやか旅人軍団メンバー

その1・身長185センチ程の長身の千葉さんは、ベトナムから陸路目を輝かせてやってきた遺跡大好き人間。遺跡の話ばっかしやがって。つまんねえ。

その2・京都から来たNさんは、中国からベトナムを経て陸路たどり着いたばかり。乞食のような服装だが、唯一許せる範囲のおおらかな人だった。

その3・大阪弁を操るUさん。ジョン・レノンばりの丸いサングラスをかけ、市民運動にも率先して参加したりして、常に問題意識を持っているようなろくでなし。税金払ってるか?。つまり、私が最も拒否反応を受けるタイプだ。こいつは要注意。

その4・民族衣装を着こなすリベラル女・A子。最初から警戒していたが、ベトナムから陸路でやってきた強者(94年当時は珍しい)。なんでもハノイでウェイトレスのバイトをしていたそうで、日給を聞くと「結構高いんですよ」と前置きした後で「1ドルです」と真顔で答えた。私はその場に凍りついてしまったが、顔は何故かアイドル顔。実に惜しい。

その5・最後に私の天敵。全身からさわやかオーラを発散している大学生のS君。どうもA子に気があるらしく、彼女の後をウンコみたいに白い歯を覗かせながら尾行している姿が哀愁を誘う。

この連中だけでも憂鬱なのに、途中から合流するカメラマンの某氏は「・・芸術・・芸術・・」と5分おきに芸術と言うのが口グセの芸術的さわやか野郎で、そんなに芸術がよければ大英博物館にでも行ってこい。という印象。そして、恐るべきことに、このさわやかカメラマンを除く全員でキリング・フィールドへタクシーで行く事になったのだ。オチが想像出来てしまうのが怖い。

結論から言うとキリング・フィールドはそれほど素晴しい所でもなく、パックツアーで来ていた日本人とハチ合わせてしまった位しか印象のないところだった。

あ、でもさわやか旅人軍団が全員パックツアーを軽蔑していたのには驚いたなあ。別にいいじゃないの。一人で来てたって偉い訳でもないのにねー。

さて、少々退屈なキリング・フィールドを見終わった後、メガネのUさんが召集をかけた。別に集まる義理もないのだが、集まらないと何を言われるか分からないのでシブシブ集合する。

Uさんは嬉しそうにカンボジアについてのレクチャーを始めた。別に自慢するワケじゃないが、私は書籍を幾つか読んできてそれなりに知識かあり、Uさんバイクタクシーがたどたどしい英語で案内した事をオウム返ししただけのようなカンボジア史には疑問を感じた。が、彼とは関わりになりたくないのでじっと沈黙していた。

Uさんは眼鏡を持ち上げつつ叫ぶ「もしポルポトが戻ったら民衆は歓迎するかもしれないよね。ポルポトが悪いっていうのはさあ!アメリカ側の言い分で、民衆は支持しているかもしれないんだよね!!」

おいおい、その言葉を後ろに立っている足の無い兵隊にクメール語で言ってみなさいって・・・。

この言葉にリベラルなA子が反応した。彼女は「カンボジア民衆は同じあやまちを二度と繰り返さないんじゃないかしら!」などと「かしら」つきで言い返し、それが引き金となって1時間余りに渡り、青少年弁論大会のようにさわやかな討論風景が展開された・・。

私はゾクゾクしっぱなしで疲れてしまうし、後ろで足の無い兵隊も唖然としていた。ああ、問題意識を持って旅行している人もいるんだなあ。でも疲れそうな旅だなあ。そんな感じ・・・。(1994・K)

いまでは逆にこういう人々を探してるんですが、なかなか見つからない。絶滅してしまったのか、それとも、イラクとかのほうにいってるのか?。(2004)
(文・アジアの素編集部)



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