沖縄南部、中城村にある城跡「中城城(なかぐすくじょう)」は、沖縄観光の中核をなす世界遺産である。
もともとは15世紀に活躍した琉球豪族「護佐丸」の拠点として築城され、江戸末期には浦賀に向かう途中のペリーが立ち寄り、石積みの城壁を絶賛したとも言われている。
戦争では沖縄で唯一、致命的な破壊を免れ、今も中世の面影を色濃く残す貴重な遺跡として、内外に広くその名を知られている。
まずは標高160メートルの丘を走る二車線の道を、眼下に広がる真っ青な水平線を眺めながらうねうねと登り、城を目指す。海岸線からわずか2キロ。ハンドルを握ってこんなに気持ちの良い道もそうない。
駐車場に車を停め、すぐ脇の窓口で300円の入場券を買ってしばらく進むと、草木が刈り取られた見通しの良い頂上に、万里の長城の縮小版といった風情の、若干、中華テイストの香る城壁が現れる。城壁のてっぺんに登れば(晴れていれば)西に東シナ海、東には太平洋に浮かぶ島々を一望に見渡せ、まるで天下を取ったような、ほんのちょっと、琉球貴族になったような気になれる。
さて、意外にだだっ広い城跡を巡りつつ、ふと城の南端に目をやれば、隣接する大きな山の中腹に、中城城に勝るとも劣らない、巨大要塞風の異様な建物が嫌でも目に入る。山肌にへばりつくように築かれたコンクリートの「町並み」。風雨にさらされどす黒く変色し、人の気配は皆無、長崎の超巨大廃墟「軍艦島」を思わせる荘厳なたたずまいだ。
この謎の廃墟、今から40年以上前の1975年頃、海洋博(当時)の観光客を当て込んで建造された「中城高原ホテル」なる一大リゾートホテルである。建物の輪郭がほぼ完成した段階で突如工事が止まり、会社は倒産。一帯が文化財保護区域に指定され、それから実に40年余りそのまんま。結局一度も営業することなく荒れるにまかせ、打ち捨てられている。
世界遺産でもなければ、むろん中城城とも無関係。管理者がいるわけでもない。ところが紛らわしいことに、両者を隔てる壁がなく(柵らしきものはあるが、かなりしょぼい)、
【入ると不法侵入で違法となる恐れがあります。事故があっても責任は持てません】
こんな、何が言いたいのかイマイチわからない警告の立て札があるのみ。目をこらせば、怒濤の勢いで廃墟の壁面を埋め尽くすDQNの落書きから、危険な雰囲気はビンビン察知できるのだが……。
それでも好奇心に抗えず、この巨大廃墟に入り込んでしまう者が後をたたず、「その筋」では知らぬ者のない有名スポットとなっている。てなわけで「やんわりと」ではあるが、私有地の注意書きがある以上、表立って入るわけにもいかない。そこで次回、私ではなく、過去、この廃墟に入った経験のある知人の写真と体験談を紹介しながら、皆さんの知的好奇心を満たしたい。どうかお楽しみに……。
中城城跡
沖縄県中頭郡北中城村大城503